或る庭からの思考

長年棲み続けている或る「庭」の現実からの直接・独自の考察・雑感。

2015年12月22日火曜日

冬至・快晴

冬は
快晴の昼時3時間ほどに、最も東京の有難さを感じる。
特に風穏やかなるは絶品だが、多少吹いていても北にしっかり遮るものがあったり、ガラス越しにて陽だまりに浸かるのは、春というより初夏そのものである。

冬の真っ只中にある初夏のひと時は宝物のようなもので、西方十万億土のかなたにあるという極楽の心地さえ想う。

日差しは奥まで入り込み、空間を静かに活性化させ、あらゆるものの血流が再生する。

草木も何がしかを蓄え、どこぞから来たる野良猫も一等地に陣取る。


このひと時があるかないかで一日はまるで違うものとなり、
さらにその数日の有り様も一変する。




早朝に身の引締まる思いをした日であれば、逆にその後なお一層引き立つ。





2015年12月13日日曜日

紅葉・自生

 残暑無く急に夏が過ぎ去ると、木陰を作ってくれていた桑と梅の木を今年は早めに、大胆に切り詰めてみた。高々と繁りすぎて気になっていたのだ。

残りの葉が少なくなるにつれ、燦々と秋の日差しが差し込み、そのすぐ北側の楓にたっぷりと陽が当たる。
師走に入り気がつくと今まであまり目を止めることの無かった低めの位置の楓が鮮やかに紅葉していた。

目の高さのが これほどになったのはしばらく記憶にない。


さらに、桑の木の下あたりには、新たな盆栽のように小さい楓が生えているのにも気づかされる。これも紅葉でもしない限り見過ごしていたであろう。



どうも桑は庭木には適さぬかもしれない。いつの間にか自生してたのだが、すぐに大きくなり、切っても切っても伸びて葉が茂ってくる。なるほど逆に消費するためものには効率がいいのかも。

全く手をつけずに放っておいても、樹木の論理に従って神聖な原生林のようになるのかもしれぬが、我もまたこの庭の一員であり、その欲するままに切り詰めてみるのも、これはこれで自然の成り行きとも考え得る。



2015年12月11日金曜日

実・花

数少なくなってきて
熟したであろう柿の幾つかは食べてみるために
少しばかり枝の方から切取った。

実だけ切取ると土に落ちて傷むので
枝ごとだと途中に絡まってクッションになる。

並べて眺めるのにも、
店頭のと違って格好が良い



生い繁る緑は背景の如くになるのに、
「実」や「花」は何故か目を引く
そこに「味」や「香り」や「目の楽しみ」を思うからであろうか

いやもっと、そのもの自体の奥深くに内在する「意志」のようなものを感じる。

見ているうちに自分がその実に乗り移り、
いつの間にやらその実になりきってしまう。

「実」「花」「芽吹き」などはそのような
確かな 存在/空間 がある。



2015年11月22日日曜日

意想外の柿一つ

正倉院の虫干しの頃は例年晴れが続くように記憶していたが、
今年は雨が多く、虫も今だに飛び交っている。


この庭には二本の柿の木が南北に並んであり、
そのうち北側の木には今まで実がなった覚えがない。
生らないものと思っていた。 何十年も前から。

しかし今年一個だけ実が生った。

二階にある台所のすぐ脇の窓から丁度よく見える位置に。
普段常時、毎日その変遷を目にする。

雨に濡れ、色が増し、
そして案の定、鳥に啄ばまれた様子。
美味かったのか否か、7割程残ったままでいる。


・・・
柿の方では、こう思っていることだろう。
すぐ近くの窓の中から
毎日こちら見つめてる者がいて、どうも気になる。
一体、何を考えているのだろうか。

・・・

しばらくして
ちょっと忘れかけていたある朝、
ふと見ると、もう蔕(へた)しか残って無かった。





2015年11月11日水曜日

立冬のアジサイ

今年は梅雨明けの酷暑が早くから始まり長く続いたが、秋になった途端に残暑がなく涼しく寒くなった。
そのあと間延びするように秋の気候がつづく。
近年、夏と冬の両極端の気候が長くなり丁度いい春と秋が短くなってきたなあと感じていたところに。
昔のようになのか。







庭の木陰をふと見ると小さいアジサイが咲いている。
一輪だけ何を感じてか知らぬが、不意をついて風情がある。
変わってはいるが、他の多くに流されずに花を咲かすのも。
小さくとも凛としていて目を引く。



2014年12月4日木曜日

黄葉

急に寒くなり、冬の気温となる。
辺り一面、気配が変わる。

以前、山吹の花を見て「黄色」について書き記した
春の芽生えの生命感のようなもだと。

しかし秋にも「黄色」はある
そしてやはり 黄色は暖かい。

色彩とは不思議なものである。
ほんの表層一枚足らずの現象のようなものなのに
こんなにも感情を揺さぶるとは。

2014年11月29日土曜日

柿の木空間想

作業場の屋根は雨音の強弱を直に感じることができる。
風によって僅かにきしむ建具や、寒暖・湿度のじんわり伝わりくる壁。
部屋のなかで外を想像しながら作業する。

さっきまで強かった雨はいつの間にか聞こえなくなり
夕方近づく頃に、天窓も明るくなる。

どこからともなく小鳥たち、特にヒヨドリの声が渡る
途端に、この小屋を覆うているはずの空が高く広くなっていく。

そのうち、例の柿の木のある方向に鳥たちの声が集まり始める。
だんだん大きく膨れ上がる。
先日見た風景を壁越しに思い描く。

たわわに実のなった柿の木空間に幾多の何種類もの小鳥たち。
ぎっしりと、柿の葉と実と小鳥たちによって埋め尽くされた極彩色の空間。



想像どうりかと確かめようと、戸を開けると
バタバタと二三羽が飛び立つ音、
それを追って沢山の鳥たちのけたたましい羽音の風が
こちらの頬まで伝わる。



飛び去った後には、葉もすっかり落ちてスカスカになった柿の木に
幾ばくかの実と、多くの痕跡が残されていた。




・・・

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